激動の2日間
ここ最近、体調不良などで記事を書くことができませんでした。去年の秋からこのような状態が続き、悩ましい日々を送っています。
最近の出来事はまた後日に書いていきます。
さて、木曜日~金曜日は指令業務でした。先月末から木曜日にななつ星が乗り入れるようになりましたが、今まで雨ばかりでしたが昨日は初めて晴れて沿線では撮影等をされていた方もいたようです。
とここまではよかったのですが、21時になり仮眠を取りしばらくすると、
「地震です!」
と携帯のアラームが鳴りだすと同時にものすごく揺れだし、すぐに着替えてパジャマを仮眠室に投げ出したまま指令室に行き、そこからは運転整理や電話応対でてんやわんやでした。
地震発生時、運転規制がかかった場合は工務社員による線路点検をおこなった上で運転再開をしなければならず、その間に新たな地震で運転規制レベルになるとまたやり直しになります。
実は今回は運が悪いことにそのようなことが日付が変わった頃に起こってしまい、八代方面の点検作業が夜明けまで長時間に及んでしまい、全ての点検作業が終わったのが4時過ぎ(それ以前に終わった箇所はその都度)、それから先の運転整理や入区先、出していい列車かどうかの確認等、時間を追うごとに何が何だか分からなくなりました。さらに夜が明けると
「まだ列車が来ないのか?」
「遅れている放送をしろや!」
などの電話対応も相次ぎ、
①列車の入換作業
②電話対応
③信号の手配(正規のシステムで動作しなくなり、手動で操作しなければならない→所定のプログラムで列車が運行できなくなったため)
で、"反復横跳び"状態&"電話恐怖症"状態で何を誰に話したか分からなくなりました。特に朝は電話がじゃんじゃん鳴りだし、どう答えればいいか分からなくなる場面もありました。
点検が終わった箇所から抑止された列車が次々と戻りだし、その列車の入区とともに朝の立ち上がりに戻す作業とともに、夜が明けると初列車の出区がかかり、てんやわんやの状態となりました。
ななつ星と貨物列車が停車して動けなくなり、その関係で八代方面への列車は全て着発線変更が起こり、運休処理と通告券発行や無線で通告等、11時頃までほぼ飲まず食わずで過ぎ、やっと食事を取れた後も運転再開はまだできなかったため監視作業を続けて、14時半頃にやっと退勤でき、自宅に帰りついたのは16時半過ぎでした。
木曜日はわずか15分位しか寝られず、眠気MAX状態での帰宅で、冷房を強く入れて速度を落としての帰宅で、無事に戻れました。
昨夜~今朝も3回地震速報のアラームが鳴り、自宅周辺でも地震速報のアラームが鳴りだし、さらには鹿児島市の防災放送も流れました。まだまだ目が離せない状況ですが、一日も早い復旧を望みます。
