717系の思い出
今日は717系の思い出について書いていきたいと思います。
最近、Twitterで話題になっているようで、自分でまとめた運用表も見ながら活躍していた頃を思い出していました。
この列車の原型は今年まで北陸地区で走っていた475系をベースにした列車で、全盛期は全国各地で急行列車を中心に活躍していました。今では急行列車と名乗るのも少なくなってしまいましたが、特急料金と急行料金はかなりの違いがあり、お得感があります。
と、話が脱線してしまいましたが、717系を振り返ると撮影を始めた2007年からさかのぼります。その頃は、415系が鹿児島に転属したことに伴い、ベースとなった475系が運用離脱した年でした。この年の鹿児島地区は充当列車が大きく変わった最初の年でした。この時に登場したのが朝の6927M(都城~鹿児島中央)で、717系3編成の6両運転でした。鹿児島の717系には前期型(HK1~HK4)、後期型(HK5~HK7)、そして3ドアに改造した(HK901)が在籍していました。前期型と後期型の違いは、ドア戸袋窓があるのが前期型、ないのが後期型でした。そして、HK901は真ん中のドアだけが両開き、それ以外は片開きで、475系の原型をそのまま残している珍車でした。
運転区間もかなり広く、一番広かった2008年には杵築~大分~延岡~宮崎~鹿児島~串木野(不定期で川内まで)でした。ほとんどが2両のワンマン運転で延岡以北は2両でもツーマンでしたが、独特の走行音などかなり楽しめた列車でした。


夕べ、Twitterで書き込んでいると色々な思い出が出てきました。
2008年、津久見花火大会に行った時に撮影して、その帰りに幸崎まで717系に乗り、花火臨で大分まで行き、3時間大分駅の待合室で暑さと格闘して待ち、ドリームにちりんで博多へ向かったことや、2009年の今頃、延岡以北がキハ220形に変わるときに最後に楽しもうと佐伯までの往復を乗った際、大分から下ってくる717系が車両故障に遭い、佐伯~延岡間ほぼピストン運行になり佐伯駅で長時間待たされて、晩飯を買いにコンビニに行くも駅からすぐのコンビニが潰れていて、マックスバリュまでかなりの距離、
「さあ、どうしよう~」
と途方に暮れたときにキオスクが開いていてたまたまシーフードヌードルが置いてあり、しかもお湯まで使わせてもらって食べたことを思い出しました。その後は無事に乗って延岡に戻り、道の駅北川はゆまで車中泊して、翌朝、佐伯に上っていく717系を撮影し、市棚でも狙った後、南下していくキヤを撮影しながら帰りました。



大きな出来事はこの2つで、他には2008年春に415系が故障して、475系を国鉄色にしたGK5とHK3が代走したことや、先ほど書いた津久見花火大会の撮影に行った頃は883系が全車7両化し運用変更が生じたこと、下ノ江(だったかな?佐志生だったかも?)で佐伯発のソニックを狙ったり…と、どれをとっても懐かしい出来事が思い出されます。
写真をやっていくと、撮る瞬間は「記録」ですが、年月が経って振り返るとそれが「記憶」となります。717系という一つの列車でも、ここまでのストーリーがありました。最近、鉄道写真がサボりがちになっていますが、このTwitterの話題がきっかけで、いかにして記録活動が必要なのかを考えさせられる瞬間でした。
「今から撮れればいいじゃん!」
「残念ですが、717系は運用離脱し、解体済ですのでこの写真はもう一生撮れません!」

恥ずかしながら、717系3編成6両の写真が残っていたのはこの一枚だけでした。今はそれを後悔しています。ですが、もう撮れません。
そんなことにならないように、「今」という時間を大事にしていきたいと思います。
